神奈川県山北町の歴史を振り返りながら町の特徴を紹介するシリーズ「山北町ってどんなところ?」は今回が最終回です。
このシリーズでは、約9千年前から人々の暮らしが連綿と続いてきた山北町の成り立ちや、鎌倉時代以降の動乱、富士山の噴火や関東大震災などの災害、「鉄道の町」として隆盛を極めた時代を見てきました。
最終回では、現在の山北町の成り立ちと現状を見ていきましょう。
1955年の町村合併
山北町は1933年の町制施行により誕生し、1955年に共和村、清水村、三保村が合併して現在の姿になりました。
合併後の面積は224,7平方キロメートルとなり、県内では横浜市、相模原市に次ぐ3番目の広さです。
合併当時の人口は16,689人でしたが、1990年以降減少を続けて現在は9,410人(2024年3月現在)に。
基幹産業である農業は、銘茶「足柄茶」やミカン、キウイフルーツの生産が盛んでしたが、価格の低迷などにより担い手不足の状態が続いています。
神奈川県の「水源地」として
山北町の面積の約9割を占めるのが森林です。森林にはさまざまな機能があり、そのうちの一つに「水源涵養(かんよう)機能」というものがあります。
これは、降ってきた雨を森林の土壌が受け止めて河川へ流れ込む水の量を抑え、洪水を緩和する機能です。また、雨水が土壌を通過することにより、水質を浄化します。
このほか、「土砂流出防止機能」や二酸化炭素を吸収する「地球環境保全機能」などさまざまな機能があり、山北町の森林も陰ながら県民の生活を支えています。
神奈川県は、下のイラストのように山北町とその周辺のエリアを「水源の森林エリア」に指定して森林の保全に努めています。
また、山北町には「県民の水がめ」とも言われる丹沢湖(三保ダム)があり、より安定的に水道水を横浜市や川崎市などの都市部に供給しています。
駅前商店街の“福活”に向けて
山北町は「森林の町」であるとともに、かつては「鉄道の町」として栄えたことはシリーズ第4回目の記事で紹介した通りです。
「鉄道の町」としてにぎわっていたころは、駅前には多くの商店が軒を連ねていました。しかし今では、人口減少や大型店舗の進出などによって“シャッター通り化”が進んでしまっています。
かながわ福祉居住推進機構では、2023年度から「山北空き家福活プロジェクト」を立ち上げ、駅前商店街の空き店舗を活用した振興策を産官学メンバーとともに練り上げています。
長い歴史と多様な特徴を持つ山北町をいかにして次世代につなげていくか。町民の皆さんと共にかつてのにぎわいを“福活”させられるように2024年度も取り組みを続けていきます。